腰部脊柱管狭窄症(腰痛、坐骨神経痛、左脚のしびれ、足がよくつる)

腰部脊柱管狭窄症(腰痛、坐骨神経痛、左脚のしびれ、足がよくつる)

手術をせずに長年患っていた腰痛が解消された!

40代男性
来院に至った経緯
小学生から社会人まで、20年以上野球をやっていた。子供の頃から体が大きかったため、ずっとキャッチャーをやっていた。高校、大学では当たりの強い選手も増えてきて、ホームでは何度も激しい衝突を繰り返し受けてきた。

大学2年生のときに腰が後ろに反りかえるほどの衝突を受けて、それから腰痛が酷くなった。長年キャッチャーをやっているので慢性的に腰痛はあったが、左お尻の奥がギューッと締め付けられる坐骨神経痛のような痛みが出て、左脚は強く痺れを感じるようになった。

騙し騙しやりながら社会人野球までやり、引退後は芸能の仕事についた。タレントの地方巡業に行くにもお金がないため、新幹線や飛行機での移動はできずにどれほど長距離でも車での移動を繰り返していた。

ほとんど自分一人で事務所を回していたため、ちゃんとした治療を受ける機会がこれまでなかった。芸能事務所も少しずつ軌道に乗り、ようやく自分の体のメンテナンスを行える時間が確保できたため、整形外科を受診した。

整形外科でレントゲンやMRI検査をすると、腰部脊柱管狭窄症だと診断された。素人目に診ても骨と骨の間のスペースがなくなっているのが分かり、長年無理をしてきたから当然だなと納得せざるを得なかった。

腰の一部分がヘルニアになっていると言われ、内視鏡手術をする予定であったが、心筋梗塞になってしまいステント手術後に血液をサラサラにする薬を処方された。すると整形外科では、血液をサラサラにする薬を飲んでいると腰の手術はできないと言われてしまった。

薬で対処するしかないと言われ、ブロック注射を合計で10回以上打ったが、腰の痛みは変わることはなかった。腰痛は、座る瞬間、立ち上がる瞬間、長時間歩く、歩行時に方向転換するようなときが顕著に感じていた。

仰向けで寝るのが辛くて、いつも横向きでお腹を丸めるように眠っていた。2日に1回は夜中にふくらはぎがつって起きてしまい、寝起きはいつも腰回りがガチガチに固まっており、熱いシャワーで体を温めてからでないと動けなかった。また左脚のしびれが次第に強くなり、両足の親指に力が入らないような感じになってきた。

何か良い方法はないかと自分であちこち探して、腰痛専門の整体院や整骨院に通ってみたが、それぞれ半年間ずつ通っても変化がまったく出ないので通わなくなってしまった。針鍼灸院にも通ってみたが、筋肉が硬直し過ぎていて対応できないと断られてしまったこともあった。

そんなとき仕事関係の知人がYoutubeで塩川満章先生という人の動画を見つけて教えてくれた。銀座の塩川カイロプラクティック治療室に問い合わせてみると塩川先生は新規の予約は受付をストップしていると言われてしまった。

他のスタッフの先生も予約が2ヶ月以上先まで埋まっていると言われてしまい、とても今の状態で2か月間も待てないことを伝えると、副院長だった前田先生が藤沢駅前で開院されていることを教えてもらった。

カイロプラクティックは初めてだったが、湘南エリアは仕事でよく行くところで通いやすいし、動画で見た塩川先生のお弟子さんで副院長もされていた先生なら大丈夫だろうと思い、当院に来院された。


【東京都港区から来院】
初診の状態
  • 01

    左仙腸関節の明らかな可動域制限

  • 02

    左仙骨翼の強い浮腫感

  • 03

    腰部全体の過緊張

経過と内容
初診時の状態では、左の仙腸関節には明らかな可動域制限があった。体表温度検査では、骨盤部と下部腰椎に明らかに左右の温度の誤差が確認された。また左仙骨翼と第5腰椎に強い浮腫が確認された。

レントゲン評価では、腰の椎間板の段階は慢性的なD6レベルで重度の骨盤の傾きが確認され、前弯カーブ(前カーブ)は消失して整形外科での診断通り腰部脊柱管狭窄症の状態だった。首の椎間板の段階はそれほど慢性的なところは確認されなかったが、首の前弯カーブ(前カーブ)は消失してストレートネックとなっていた。

初期集中期の段階では週3回のケアを提示したが、仕事の関係で週1回なら通えるということだったので週1回のケアから開始した。

4週目(4回目のアジャストメント)には、腰痛に少しだけ変化が見られた。いつもイスに座る動作や立ち上がる瞬間などに強い痛みを感じていたが、それがほとんど感じなくなった。また夜中に脚がつって起きてしまうということはまったくなくなった。

7週目(7回目のアジャストメント)には、左脚全体に出ていたしびれが徐々に感じなくなり、左臀部の奥にあった坐骨神経痛のような痛みが強く感じるようになった。仕事で長時間歩くと必ず腰痛が酷くなったが、この頃には少し腰が張ってくるなという程度にまで回復していた。

12週目(12回目のアジャストメント)には、左脚全体のしびれはすっかりなくなり、左臀部にあった坐骨神経痛のような症状も感じなくなった。特に寝起きの腰痛が軽くなり、朝の準備が楽にできるようになった。

19週目(19回目のアジャストメント)には、両足の親指にも力が入ると感じるようになり、腰痛はほとんど気にならなくなった。仕事の移動が多いときは腰回りが張ってくるが、一晩眠るとかなり回復できる状態になった。この段階でケアのペースを2週間に一度に広げることができた。

現在は、ほとんどの症状が落ち着いたが、身体のメンテナンスとして定期的なカイロプラクティックケアを続けている。

考察
今回の腰部脊柱管狭窄症は、骨盤部の乱れが最大の原因であったと考えられる。骨盤部には真ん中にある仙骨と左右の腸骨で構成される仙腸関節というものがある。

人間には必ず補正作用があり、どちらかの仙腸関節の神経に負担が掛かって動きが悪くなると、反対側の仙腸関節は悪くなった側を補おうと過剰に動いてしまう。腰部の椎間板は捻じる動作に弱くできているため、どちらかの仙腸関節の動きが過剰になると歩くたびに腰部に捻じれの動作が入ってしまう。

線維輪状で構成されている椎間板は、長年の捻じる動作によって少しずつ損傷を繰り返していく。椎間板の中心部分にある髄核はほとんど水分で構成されているため、損傷して亀裂の入った椎間板から飛び出して腰部ヘルニアなどを誘発させてしまう。その状態をさらに放置していくと椎間板がどんどん薄くなり、最終的には腰部脊柱管狭窄症になってしまうと考えられる。

椎間板や骨の形状など、構造上変化してしまった部位は固定化されてしまうが、どのような状態でも神経の回復は可能であると考えらえる。人間の治るチカラは何歳になっても必ず働く偉大なチカラであるが、すべてを阻害しているものは神経の圧迫であるサブラクセーション(根本原因)となる。

長年にわたって左の仙腸関節の神経に負担が掛かっていたものと考えられるが、特に左仙骨の可動性の減少は著しく、それによって左の坐骨神経や腰部から下肢へと伸びる神経に大きな負担が掛かっていたのだろう。

下肢のしびれや両足親指に力が入りにくいという症状も出ていたが、神経が損傷する過程において「正常→痛み→痺れ→麻痺」の順番で進行してしまう。つまり痺れとは痛みよりもさらに神経症状においては負担が掛かっている状態だと言える。そのため、神経の回復過程においては、「麻痺→痺れ→痛み→正常」の順番で回復してくる。

今回のケースでも、その回復過程を顕著に辿っていき、左脚の痺れがぬけてくると同時に左臀部の痛みが顕著に強くなった。その後、臀部の痛みも解消されていき、回復していくという典型的な神経の回復過程を辿って行ったものと考えらえる。

ご本人の強い希望もあり、腰痛以外は何も困っていないということから、腰部と骨盤部のみにアプローチしたことも良い結果に繋がった要因だと考えられる。一度にあちこち触ってしまえば人間の治るチカラは分散されてしまう。

アジャストメントによりサブラクセーション(根本原因)が取り除かれ、神経の流れが整った結果、慢性的な腰痛の改善に繋がったと考えられる。あらためて神経の流れを整えて体の情報を脳へ届けることの重要性が確認できる症例である。

執筆者前田 一真

神奈川県藤沢市出身。1972年に塩川満章D.C.が開院した銀座の塩川カイロプラクティック治療室に内弟子として入る。塩川満章D.C.と塩川雅士D.C.に師事し、副院長まで務める。また日本で最も歴史あるカイロプラクティック学校シオカワスクールでは現役講師を務めており、後任の育成にも力を入れている。2023年5月に地元である藤沢の地で、カイロプラクティックの最前線である塩川カイロプラクティック治療室で学んだ本物のカイロプラクティックを提供する院を実現するため、【前田カイロプラクティック藤沢院】を開院。

笑顔溢れ、心豊かに、幸せな毎日をサポートできるようにカイロプラクターとして尽力している。またシオカワグループの一員として、感謝・感動・希望に溢れる社会を目指している。

症例一覧へ戻る
pagetop