側弯症(背中が動かない、不眠症、生理不順、末端冷え性、呼吸が浅い)

側弯症(背中が動かない、不眠症、生理不順、末端冷え性、呼吸が浅い)

8年間も動かなかった背中が少しずつ動くようになった!

20代女性
来院に至った経緯
中学1年生のときに両親が通っていた整体院の先生に体を診てもらったら、側弯症の疑いがあると言われて近所の整形外科を受診した。整形外科でレントゲンを撮ると側弯症だと診断された。手術をする角度ではないが、側弯の進行を抑えるためと言われ、その日からコルセットを付ける生活が始まった。

今考えてもあり得ないが、当時付けるように言われたコルセットは腰から脇の下まで体をすべて覆うものだった。お風呂に入るとき以外は寝ているときも付けるように指導され、子供ながらに一生懸命にそれを守った。

中学1年生の途中から高校2年生まで約3年半もの間、お風呂に入るとき以外その大きなコルセットで体を固めていた。高校2年生になると、女の子は成長期が早く終わるからコルセットはもう外して良いと言われた。

コルセットを外すと自分の上半身がまったく動かなくなっていることに気づいた。下に落ちた物を拾おうとしても上半身が前に曲がらずにロボットのような動きしかできなくなった。病院の先生にそれを伝えると、長い間コルセットで固めていたから動かないのは当然だと言われた。

骨折した腕を三角筋で2ヶ月間吊るしているだけで肘が伸びなくなるが、しばらくすれば伸びるようになるから心配いらないと言われた。それから約8年、現在25歳だが上半身はいまだ動かずロボットのように固まったままとなってしまった。

眠るときも上半身がほとんど曲がらないため、マクラは使うことができなかった。歩いていてもゾンビのように上半身と下半身のバランスが悪く、それが分からないようにブカブカの服ばかりを選ぶようになりオシャレもできなかった。

社会人になった22歳の頃から末端冷え性が気になるようになった。会社のオフィスの冷房が強く掛かっているため、それで冷え性なのかなとも思ったが、休みの日でも冷え性は変わらずあった。

同時期から生理不順にもなり、2ヶ月に一度しか生理が来なくなり、酷いときは半年間生理が来なくなったことがあった。また睡眠の質も悪くなり、寝入りに2~3時間掛かるようになった。次第に呼吸も浅いなと感じるようになり、気になれば気になるだけ体調が悪くなっていった。

Youtubeなどで側弯症の治療によって同じように上半身が固まってしまった人がいないか調べていたら、塩川満章先生の動画を見る機会があった。いろんな症状が治っているという動画を見て、私も治るかもしれないと調べてみたら、家から近くの藤沢駅前に塩川先生のお弟子さんが開院されていることを知り、当院に来院された。


【神奈川県藤沢市から来院】
初診の状態
  • 01

    胸部の極端な可動域制限

  • 02

    左仙腸関節の明らかな可動域制限

  • 03

    全身の過緊張

経過と内容
初診時の状態では、胸部の可動域は全体的に制限が掛かっている状態だった。体表温度検査では、骨盤部、腰部、下部胸椎、中部胸椎、上部胸椎、下部頸椎、上部腰椎と何か所も左右の温度の誤差が確認された。

レントゲン評価では、腰の椎間板の段階はそれほど慢性的な部位は確認されなかったが、重度の骨盤の傾きが確認された。首の椎間板の段階は慢性的なD3レベルが確認され、ストレートネックとなっていた。

また成長期にコルセットで体のほとんどを固めて生活していた影響か、腰部の前弯カーブ(腰の前カーブ)や胸部の後弯カーブ(背中の後ろカーブ)は完全に消失しており、背骨の生理的な弯曲は消失して腰から首まで真っすぐな状態となっていた。

初期集中期の段階では週2回のケアを提示したが、仕事の関係で週1回のケアから開始した。

4週目(4回目のアジャストメント)には、これまでは寝入りに2~3時間掛かっていたが、1時間ほどで眠れるようになった。

8週目(8回目のアジャストメント)には、睡眠の質はすっかり戻り、仕事の日で疲れている日は布団に入ればすぐに眠れるようになった。また仕事中に手足が冷たく感じることも少なくなり、呼吸が浅いなと感じることもほとんどなくなった。

12週目(12回目のアジャストメント)には、これまで2ヶ月に一度しか来なくなっていた生理周期が、カイロプラクティックケアを始めて2か月目と3か月目の生理は正常な周期で来るようになった。この段階でケアのペースを2週間に一度に広げることができた。

20週目(16回目のアジャストメント)には、背中の可動域が少しずつ出てきて上半身が少し前に曲がるようになった。これまで背中がまったく動かなかったため、睡眠時にマクラが使えなかったが、バスタオルを畳んだ厚み程度は使えるようになった。

30週目(21回目のアジャストメント)には、目の前に落ちている書類を拾うような動作も少しスムーズに感じるようになった。

現在は、徐々に背骨全体の可動域が戻ってきているが、一番大切な成長期の約3年半もの間コルセットで上半身を固めてしまっていたため、こと背骨の可動域に対しては劇的な変化はみられない。

ただし施術を受けていると、呼吸が楽になりよく眠れると感じており、また固まってしまった上半身の可動域は日常生活において、できる動作が増えているとのことから定期的なカイロプラクティックケアを続けている。

考察
今回の背中の極端な可動域制限は、成長期の真っただ中に体全体を覆うようなコルセットをし続けていたことが要因の一つだと考えられるが、そもそも今回のケースでは側弯症の原因を考える必要がある。

現代では、側弯症のハッキリとした原因は解明されていないが、小児カイロプラクティックでは側弯症はお母さんのお腹の中にいるところから始まると考えられている。例として母体の骨盤が捻じれていたとすると、子宮は骨盤とくっついた強靭な靭帯によって宙づりのハンモックのような状態となっている。

骨盤の捻じれは靭帯の捻じれを意味しているため、宙づりになったハンモックが捻じれている状態となる。捻じれているハンモックに横たわるのは大人でも困難なことは容易に想像ができる。

子宮が捻じれた状態とは、お腹の中にいる赤ちゃんが窮屈なスペースにいるということなので、赤ちゃんの柔らかい背骨には大きな負担となってしまう。また出生してからの赤ちゃん自身の骨盤の捻じれも要因としては考えられる。

今回のケースでは骨盤部の左右差が強く出ていたが、左右の脚長差が約1.5㎝も違っていた。そうなると当然、短い脚の方に腰部の凸ができる状態となる。人間には補正作用があるため、腰部の凸が左にあれば、胸部の凸は右、頚部の凸は左となるのが自然である。

側弯症となる原因は決して断定できないが、上記したように母体の骨盤の捻じれや、幼少期の骨盤の左右差からなる影響が少なからずあるものと考えられる。検査では骨盤部のみならず、上部頸椎にも強い反応が見られたが、どちらも副交感神経支配の部位となる。

副交感神経のサブラクセーション(根本原因)によって、交感神経が過剰に働いたことで自律神経のバランスが乱れていたと考えられる。

末端冷え性は交感神経が過剰に働いている人の特徴でもある。交感神経の作用として末梢の血管を閉じる役割があるため、交感神経が過剰になることで末梢の血管が閉じたままとなり、血流異常が起こり末端冷え性となっていたと考えられる。

それ以外にも睡眠の問題、生理不順、呼吸が浅いなど自律神経の問題と思われる症状が出ていたが、検査によって問題の神経系を特定し、体の情報を脳へ届けた結果、さまざまな症状の改善に繋がったと考えられる。改めて神経の流れを整えて、体の情報を脳へ届けることの重要性が分かる症例である。

※側弯症は、成長期が終るとその側弯の角度は固定化されてしまいます。今回の症例でも胸部の可動域は徐々に改善が見られているものの、劇的な改善までには至っていません。そのことを考えると、一日でも早いカイロプラクティックケアをおススメします!

執筆者前田 一真

神奈川県藤沢市出身。1972年に塩川満章D.C.が開院した銀座の塩川カイロプラクティック治療室に内弟子として入る。塩川満章D.C.と塩川雅士D.C.に師事し、副院長まで務める。また日本で最も歴史あるカイロプラクティック学校シオカワスクールでは現役講師を務めており、後任の育成にも力を入れている。2023年5月に地元である藤沢の地で、カイロプラクティックの最前線である塩川カイロプラクティック治療室で学んだ本物のカイロプラクティックを提供する院を実現するため、【前田カイロプラクティック藤沢院】を開院。

笑顔溢れ、心豊かに、幸せな毎日をサポートできるようにカイロプラクターとして尽力している。またシオカワグループの一員として、感謝・感動・希望に溢れる社会を目指している。

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