橋本病による全身の冷え、むくみ、倦怠感の苦悩

橋本病による全身の冷え、むくみ、倦怠感の苦悩

諦めていた慢性症状が軽減し、心も体も前向きに過ごせるようになりました!

40代女性
来院に至った経緯
子供の頃から冷え性で、真夏でも布団の中で足先が氷のように冷たいと感じることが多かった。大人になってからもその傾向は続き、冬場はもちろん、冷房の効いたオフィスや電車内では体の芯まで冷え込むような感覚に悩まされていた。

そのため、少しでも改善できればとホットヨガに通い、汗をかくことで体を温めることを習慣にしていた。

仕事はWEBデザイナーとして、多忙なプロジェクトを抱えながらも充実感を持って取り組んでいた。納期に追われることも多く、連日夜遅くまでパソコンに向かう日々が続いたが、子供がまだ中学生ということもあり、家に帰れば母親としての役割も待っていた。

食事の準備や子供たちの勉強のサポートをするうちに、気づけば自分の体を労わる時間はほとんどなくなっていた。

そんな生活が続く中で、数年前から「朝起きても疲れが抜けない」「以前よりも風邪をひきやすくなった」といった小さな変化を感じるようになった。

それでも「年齢のせいだろう」「一時的な疲労だろう」と自分に言い聞かせてやり過ごしていた。しかし、次第にその違和感は無視できないほど強まっていった。

明け方に何度も目を覚ますようになり、睡眠の質が著しく低下した。日中は頭がぼんやりして集中力が続かず、長時間座って作業をしていると全身の倦怠感が押し寄せてきた。

オフィスでは冷房の風が異常に堪えるようになり、周りの同僚は快適そうに過ごしているのに自分だけが震えるような寒さを感じていた。さらに、手足だけでなく顔までむくむようになり、朝鏡を見たときに「自分の顔が腫れぼったくて別人のようだ」とショックを受ける日もあった。

休暇を取って病院を受診すると、「橋本病」と診断された。医師から説明を受けたとき、数年前の健康診断で「橋本病疑い」と言われたことを思い出し、「あのときから体は少しずつ変化していたのかもしれない」と妙に腑に落ちる感覚があった。

それと同時に「もっと早く本気で体と向き合うべきだったのでは」という後悔の思いも強くこみ上げた。

ちょうどその頃、職場で一つ年下の後輩が橋本病を患っていると耳にした。普段は元気に明るく振る舞っていたので信じられずに相談してみると、「実は私も橋本病ですが、カイロプラクティックに通うようになってから体調がすごく良くなったんです。先輩も一度行ってみてください」と勧められた。

普段から頼りにしていた後輩の言葉には説得力があり、驚きと同時に大きな安心を覚えた。

確かに思い返すと、その後輩は常に活発で疲れを見せることがなく、以前よりも仕事のパフォーマンスが高まっていた。その姿を見て、「自分もまだ改善の道はあるのかもしれない」と希望を感じた。

薬だけでは改善が見込めず、このまま将来に不安を抱え続けるのかという絶望感に苛まれていたが、紹介されたカイロプラクティックなら光が見えるのではないかと感じ、最後の望みを託して当院に来院された。


【神奈川県横浜市西区から来院】
初診の状態
  • 01

    上部胸椎の明らかな可動域制限

  • 02

    隆椎周辺の強い浮腫感

  • 03

    頸部全体の過緊張

経過と内容
初診時の状態では、上部胸椎と下部腰椎には明らかな可動域制限があった。体表温度検査でも、上部胸椎と下部腰椎に明らかに左右の温度の誤差が確認された。また隆椎周辺には強い浮腫が確認され、頸部は全体的に過緊張の状態であった。

レントゲン評価では、椎間板をD1~D6という6段階で評価していく。腰の椎間板の段階は6段階中3段階の慢性的なD3レベルが確認された。首の椎間板の段階は6段階中4段階の慢性的なD4レベルが確認され、首の前弯カーブ(前カーブ)は消失してストレートネックとなっていた。

初期集中期の段階では週2回のケアを提示したが、平日は残業で夜遅くなることが多かったため、無理のない範囲で週末の週1回のケアから開始した。

4週目(4回目のアジャストメント)には、依然として強い倦怠感は残っていたが、朝の目覚めが以前よりもわずかに楽になり、午前中の活動が少しスムーズに行えるようになった。本人も「ほんの少しだけれど違う」と口にし、母親業と仕事の両立に小さな希望を感じ始めていた。

9週目(8回目のアジャストメント)には、むくみの程度に変化が出始め、朝の顔の腫れぼったさが和らぐ日が増えてきた。職場でも「最近少し表情が明るいですね」と声をかけられることがあり、自分でも体の軽さを実感できる場面が増えていた。まだ疲労感は完全に抜けなかったが、休日に一日中寝込むことは減り、家族との外出も楽しめるようになった。

15週目(14回目のアジャストメント)には、病院での血液検査にてTSHやFT4の値に安定傾向が見られた。医師からも「このまま続けていけばもっと安定していくでしょう」と説明され、本人も「薬を飲んでも変わらなかった数値が動き始めた」と安心感を抱いた。実際の生活でも午後の集中力が持続しやすくなり、仕事での効率も以前より上がっていた。

23週目(21回目のアジャストメント)には、慢性的に感じていた冷えが軽減し、オフィスの冷房が以前ほど辛くなくなった。むくみもほとんど気にならなくなり、家族から「前より元気そうに見える」と声をかけられることが増えた。本人も「ようやく自分の体を取り戻しつつある」と実感し、心理的にも前向きになっていた。

現在は、甲状腺ホルモンの数値も安定し、倦怠感やむくみといった症状はほとんど解消されている。仕事や家庭を問題なくこなせるまでに回復したが、再発防止と健康維持のため、定期的なカイロプラクティックケアを続けている。

考察
本症例の橋本病による倦怠感や冷え、むくみの背景には、自律神経のアンバランス、特に交感神経の機能低下が関与していたと考えられる。

交感神経の調整力が弱まると、視床下部―下垂体―甲状腺(HPT)軸が適切に働かなくなり、甲状腺ホルモンの分泌が低下しやすい状態が持続する。結果として基礎代謝が落ち、疲労感や体温調節障害が長引いていたと推察される。

橋本病は自己免疫性の甲状腺炎であり、免疫寛容(Treg)の働きと炎症性サイトカインの制御が破綻すると、抗TPO抗体や抗サイログロブリン抗体を介して甲状腺に慢性的な炎症が生じる。この炎症が長期化することで、甲状腺組織は徐々にダメージを受け、ホルモン分泌能がさらに低下する悪循環が形成される。

本症例では、初診時に上部胸椎と下部腰椎の可動域制限、隆椎周辺の強い浮腫、そして頸部全体の過緊張が確認された。これらはいずれも交感神経の負担と深い関連を持つ部位であり、神経の機能低下が血流や代謝リズムに直接影響を与えていたと考えられる。特に頸椎領域は甲状腺との関連が強く、この部位の不安定さが甲状腺機能低下の一因となっていた可能性は高い。

さらに、交感神経の機能が低下した状態では、免疫系が炎症を制御する力を十分に発揮できず、結果として自己免疫反応が強まりやすくなる。つまり、自律神経の乱れと免疫異常が互いに影響し合い、倦怠感・冷え・むくみといった低代謝の症状を慢性化させていたのである。

アジャストメントによりサブラクセーション(根本原因)が取り除かれると、神経機能が安定し、血流や代謝リズムが回復していく。その過程でHPT軸の働きが改善し、甲状腺ホルモンの分泌が安定化に向かい、検査値(TSHやFT4)の改善とともに自覚症状の軽減に繋がったと考えられる。

本症例は、橋本病を単なる甲状腺の疾患として捉えるのではなく、自律神経・免疫・内分泌が相互に影響し合う全身的な問題として理解し、神経学的にアプローチすることの重要性を示した臨床例である。
橋本病による全身の冷え、むくみ、倦怠感の苦悩
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前田 一真

執筆者前田 一真

神奈川県藤沢市出身。1972年に塩川満章D.C.が開院した銀座の塩川カイロプラクティックに内弟子として入る。塩川満章D.C.と塩川雅士D.C.に師事し、副院長まで務める。また日本で最も歴史あるカイロプラクティック学校シオカワスクールでは現役講師を務めており、後任の育成にも力を入れている。2023年5月に地元である藤沢の地で、カイロプラクティックの最前線である塩川カイロプラクティックで学んだ本物のカイロプラクティックを提供する院を実現するため、【前田カイロプラクティック藤沢院】を開院。

笑顔溢れ、心豊かに、幸せな毎日をサポートできるようにカイロプラクターとして尽力している。またシオカワグループの一員として、感謝・感動・希望に溢れる社会を目指している。

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