3歳から6年間続く小児喘息の咳で夜も眠れなくなった

3歳から6年間続く小児喘息の咳で夜も眠れなくなった

薬では変わらなかった夜間の咳が落ち着き、体育の授業も安心して受けられるようになりました!

10歳未満男性
来院に至った経緯
息子が3歳で小児喘息と診断されてから、気づけば6年が過ぎていた。季節が変わるたびに咳が悪化し、特に夜は苦しそうに胸を押さえながら起き上がることが多く、母親はそのたびに寝室へ駆けつけて抱きしめることしかできなかった。夜中に続く咳の音に「また今夜も眠れないかもしれない」という緊張が走り、母親自身も深く眠ることができない日が続いていた。

日中も安心はできず、小学3年生になってからも体育の授業で周囲の子が全力で走る中、息子はすぐに呼吸が荒くなり、咳き込み、途中で活動を中断せざるを得なかった。本当は思い切り走ることが好きな性格なのに、それができない悔しさから、帰宅後に静かに涙を流すこともあった。そんな姿を見るたびに、母親は「この子はこれから先もずっと、好きなことを我慢しながら生きていくのだろうか」と胸が苦しくなっていた。

これまで小児科では吸入薬やステロイドを処方され、症状が落ち着く時期もあったが、薬をやめるとすぐに咳が戻ってくる。その繰り返しの中で、母親は次第に「薬で抑えているだけで、根本的には変わっていないのではないか」と感じるようになった。夜中に咳で苦しむ息子の背中をさすりながら、もっと別の可能性を探さなければならないと強く思うようになっていた。

そのような頃、仲の良いママ友との会話で「うちの子、喘息がひどかったんだけど、前田カイロに通ってから落ち着いたんだよ」という話を聞いた。同級生の子どもが実際に回復しているという事実は、母親にとって大きな希望になった。半信半疑ではあったものの、藁にもすがる思いで当院のホームページを検索してみたところ、小児の症例が多数掲載されており、赤ちゃんから小学生まで多くの子どもがケアを受けていることを知った。

さらに、呼吸の問題と神経の働きが深く関連しているという説明に触れ、「もしかしたら薬だけに頼らず、この子の身体が本来の力を取り戻せる方法があるのではないか」と考えるようになった。夜ぐっすり眠れるようになってほしい、体育の授業を途中で抜けなくてもいい体になってほしいという切実な思いから、当院に来院された。


【神奈川県藤沢市から来院】
初診の状態
  • 01

    右仙腸関節の明らかな可動域制限

  • 02

    右仙骨翼にスポンジ状の浮腫

  • 03

    第一頸椎右横突起にスポンジ状の浮腫

経過と内容
初診時の状態では、右の仙腸関節と第一頸椎には明らかな可動域制限があった。体表温度検査では、骨盤部と上部頸椎に明らかに左右の温度の誤差が確認された。また右仙骨翼と第一頸椎右横突起にスポンジ状の強い浮腫が確認され、腰部起立筋と胸鎖乳突筋は過緊張の状態であった。

レントゲン評価では、椎間板をD1~D6という6段階で評価していく。腰の椎間板の段階は小学生と言うこともあり6段階中1段階とほとんど問題は確認されなかったが、重度の骨盤の傾きや過前弯で反り腰が確認された。首の椎間板の段階も6段階中1段階と問題は確認されなかったが、首の前弯カーブ(前カーブ)は消失してストレートネックを通り越してスワンネック(逆カーブ)となっていた。

レントゲン評価でも椎間板には異常な確認されなかったが、骨盤部の左右差が強かったため、初期集中期の段階では週1回のケアから開始した。

2週目(2回目のアジャストメント)には、夜間の咳が以前より明らかに減少した。これまでは毎晩のように咳き込んで目を覚ましていたが、「昨日は1回だけで済んだ」と母親から報告があった。朝のぐったり感も少し軽くなり、学校へ向かうときの表情が明るくなっていた。

4週目(4回目のアジャストメント)には、日中の咳が大きく減っていた。授業中の咳が目立たなくなり、帰宅後の疲れ方が以前より明らかに軽かった。「前ほどゼーゼーしなくなった」と母親も驚いており、息子自身も「前より走れるようになった」と嬉しそうに話していた。咳き込む回数が減ったことで夜も長く眠れるようになり、この段階でケアのペースを2週間に1回に広げることができた。

8週目(6回目のアジャストメント)には、夜間の咳はほとんど見られなくなっていた。寝つきが良くなり、朝の目覚めも安定していた。体育の授業でも途中で咳き込むことが少なくなり、以前は避けていた縄跳びや軽いランニングに積極的に取り組めるようになっていた。

12週目(8回目のアジャストメント)には、発作のような咳は完全に見られなくなり、季節の変わり目でも症状が戻ることがなかった。外遊びの後も呼吸が乱れにくくなり、母親は「最近は喘息だったことを忘れてしまうくらい」と話していた。

現在は、小児喘息が原因と思われる諸症状は落ち着き、日中活動時も安定しており、夜間就寝時もぐっすり眠れるようになった。二度と同じ苦しみを息子にさせたくないという思いから、再発防止と身体のメンテナンスとして定期的なカイロプラクティックケアを続けている。

考察
今回の小児喘息は、骨盤部と上部頸椎に存在していたサブラクセーション(神経機能の滞り)が、呼吸調整に関わる神経システムの働きを乱していたことが主な要因であったと考えられる。小児喘息は気管支そのものの問題だけではなく、自律神経の調整、姿勢、筋緊張、全身の呼吸運動など、複数の要素が影響し合って発症する。発育段階の子どもは神経系が成熟途上であるため、わずかな負荷でも呼吸リズムの乱れにつながりやすく、症状が慢性化しやすい傾向がある。

本症例では、初診時に右仙腸関節と第一頸椎に明らかな可動域制限がみられ、右仙骨翼と上部頸椎にはスポンジ状の浮腫が確認された。このような骨盤部の機能低下は骨盤底や腰背部の筋緊張を高め、横隔膜や肋間筋といった呼吸に関わる筋群の協調性を乱す要因となる。また、第一頸椎周囲の神経機能が滞ると、呼吸のペースや気道の緊張状態を調整する神経システムの働きにも負荷がかかり、気道が過敏に反応しやすくなる。

呼吸症状が長期間続いていた背景には、この骨盤部と上部頸椎のサブラクセーションが同時に存在していたことが大きく影響していたと捉えられる。初診時には腰背部から頸部にかけて広範囲の筋緊張がみられ、身体全体が呼吸の乱れを守るための防御反応を続けていた状態であったことが推測できる。

アジャストメントによりサブラクセーションが取り除かれると、防御反応が徐々に解除され、呼吸に関わる筋群の緊張が自然に緩和した。これにより呼吸リズムが整い、夜間の咳の減少につながったと考えられる。実際に、ケア後の経過では夜間の咳が明らかに減少し、睡眠の質が向上していった。この変化は神経機能が回復し、身体が本来の呼吸調整能力を取り戻し始めたことを示している。

さらに、睡眠の質が改善したことで日中の疲労感が軽減し、体力の回復が促進された結果、活動時の呼吸の乱れも徐々に落ち着いていった。症状が段階的に改善していった経過は、神経機能の再統合が進み、呼吸、姿勢、筋緊張の各要素が正常に連動し始めた過程と一致していた。

小児喘息では、薬によって症状が一時的に落ち着いても、根本的な変化が得られず長期間悩まされるケースが多い。本症例では、呼吸そのものを直接操作したわけではなく、神経の働きを整えることで身体が自ら呼吸のバランスを取り戻していった点が重要である。

本症例は、小児喘息に対して、神経機能を整えるという根本的アプローチが大きな可能性を持つことを示した臨床例といえる。夜間の咳が落ち着き、体育の授業を楽しめるようになったという変化は、子どもの生活の質を大きく改善し、家族全体にとっても大きな安心につながる結果となった症例であった。
3歳から6年間続く小児喘息の咳で夜も眠れなくなった
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前田 一真

執筆者前田 一真

神奈川県藤沢市出身。1972年に塩川満章D.C.が開院した銀座の塩川カイロプラクティックに内弟子として入る。塩川満章D.C.と塩川雅士D.C.に師事し、副院長まで務める。また日本で最も歴史あるカイロプラクティック学校シオカワスクールでは現役講師を務めており、後任の育成にも力を入れている。2023年5月に地元である藤沢の地で、カイロプラクティックの最前線である塩川カイロプラクティックで学んだ本物のカイロプラクティックを提供する院を実現するため、【前田カイロプラクティック藤沢院】を開院。

笑顔溢れ、心豊かに、幸せな毎日をサポートできるようにカイロプラクターとして尽力している。またシオカワグループの一員として、感謝・感動・希望に溢れる社会を目指している。

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