20年間続いた慢性腰痛と右脚のしびれで夜も眠れなくなった

20年間続いた慢性腰痛と右脚のしびれで夜も眠れなくなった

どこへ行っても改善しなかった痛みが和らぎ、夜もぐっすり眠れるようになりました!

40代女性
来院に至った経緯
社会人になってから腰に違和感を覚えることがあったが、軽い腰痛程度で数日休めば自然に治っていたため、深く気にすることはなかった。当時は、その腰痛が長年続くものになるとは微塵も思っていなかったため、特に身体のメンテナンスはしてこなかった。

しかし30代半ばを過ぎた頃から、腰の痛みが次第に強くなり、朝起きたときから腰が重く感じるようになった。仕事でデスクに座っていると、時間の経過とともに腰の奥がズーンと痛み出し、立ち上がるときには腰が固まって動き出すまでに時間がかかるようになっていた。いつしか腰痛は日常の一部となり、「腰が痛いのが当たり前」という状態が20年近く続いていた。

40代に入る頃からは、慢性的な腰痛に加えて右脚のしびれが現れるようになった。最初は太ももの外側に違和感を覚える程度だったが、徐々にふくらはぎから足先までピリピリとしたしびれが広がるようになり、長時間座っていると脚の感覚が鈍くなることもあった。歩行中にも腰から脚へズキッと響くような痛みが出るようになり、次第に腰痛と脚のしびれが日常生活を圧迫していった。

整形外科を受診してレントゲンやMRI検査を受けたところ、「腰椎の椎間板がすり減って神経を圧迫しています」と説明を受けた。牽引療法や電気治療、痛み止めの服用を続けても腰痛と右脚のしびれは改善せず、「加齢による腰の変化なので、うまく付き合っていくしかありませんね」と告げられた。

20年も腰痛を抱えてきたうえに右脚のしびれまで出てきたことで、「このまま歩けなくなるのではないか」という不安を感じるようになった。整体院や鍼灸院にも通ってみたが、腰痛は一時的に軽くなるだけで、数日も経てば再び重くなり、右脚のしびれも戻ってしまっていた。どこへ行っても根本的に良くならない現実に、精神的にも疲弊していた。

仕事はデスクワーク中心で、一日中座っていることが多かった。腰痛がひどい日は1時間も座っていられず、途中で立ち上がって腰を伸ばすことが習慣になっていた。午後になると腰の痛みと右脚のしびれが強まり、集中力が途切れることも多かった。夜は寝返りを打つたびに腰から足にかけて痛みが走り、何度も目が覚めてしまい、慢性的な疲労感にも悩まされていた。

病院では「手術以外には、根本的に治す方法はない」と言われ、希望を失いかけていた頃、職場の同僚から「ここに通って腰痛が良くなった」と当院を紹介された。これまで数多くの治療を受けても改善が見られなかったため半信半疑だったが、「手術をする前に、最後にここで試してみよう」と思い、来院に至った。


【神奈川県藤沢市から来院】
初診の状態
  • 01

    右仙腸関節の明らかな可動域制限

  • 02

    右仙骨翼にスポンジ状の浮腫

  • 03

    腰部起立筋の過緊張

経過と内容
初診時の状態では、右の仙腸関節には明らかな可動域制限があった。体表温度検査では、骨盤部と下部腰椎に明らかに左右の温度の誤差が確認された。また右仙骨翼と下部腰椎に強い浮腫が確認され、腰部起立筋は過緊張の状態であった。

レントゲン評価では、椎間板をD1~D6という6段階で評価していく。腰の椎間板の段階は6段階中4段階の慢性的なD4レベルで重度の骨盤の傾きや激しい椎骨の変性が確認された。首の椎間板の段階は6段階中3段階の慢性的なD3レベルが確認され、首の前弯カーブ(前カーブ)は消失してストレートネックとなっていた。

初来院時は、夜も眠れないほどの強い腰痛と右脚のしびれが出ており、まずは眠れるようにしてほしいと患者本人からの強い要望があった。さまざまな検査所見から初期集中期の段階では週2回のケアから開始した。

2週目(3回目のアジャストメント)には、夜間に痛みで目が覚める回数が減り始め、以前よりも眠れるようになった。朝の腰のこわばりもわずかに軽減し、起床時に腰を支えて起き上がる動作が楽になっていた。仕事中も、座っているときの腰の重だるさがやや和らぎ、「痛みの波が少し落ち着いてきた気がする」と話していた。

5週目(7回目のアジャストメント)には、腰痛の強さが全体的に半減し、歩行中の右脚のしびれも軽くなってきた。以前は数分歩くと腰から脚へズキッと響く痛みが出ていたが、最近では休憩を挟まずに歩ける距離が伸びていた。夜も寝返りのたびに痛みが出ていたが、その頻度が減少し、睡眠の質が徐々に安定してきた。この段階でケアのペースを1週間に一度に広げることができた。

9週目(11回目のアジャストメント)には、長時間のデスクワークでも腰痛を感じにくくなり、集中して作業を続けられるようになった。右脚のしびれも、ふくらはぎから足先にかけての範囲が明らかに狭まり、「しびれが線のように細くなってきている」と本人も回復を実感していた。

14週目(16回目のアジャストメント)には、腰の可動域が広がり、前屈や立ち上がり動作でも痛みを感じることがほとんどなくなった。慢性的に続いていた腰の重さが消え、脚のしびれもほぼ消失。夜も熟睡できるようになり、「朝起きても腰が軽くなっている」と喜びの表情を見せていた。

現在は、腰痛や右脚のしびれといった症状はほとんど落ち着いており、再発を防ぐための身体のメンテナンスとして定期的なカイロプラクティックケアを続けている。

考察
今回の右脚のしびれを伴う腰痛は、右仙腸関節の仙骨後方軸転変位による骨盤部の機能障害が主な原因であったと考えられる。

仙腸関節は、骨盤部の左右に一つずつ存在している重要な関節である。人間には補正作用があるため、どちらか片方の仙腸関節の動きが制限されると、反対側はそれを補うため過剰に動いてしまう。

腰部の椎間板は捻じる動作に弱くできている為、片側だけが過剰に動いたことで腰部の椎間板に過度な負担が掛かり、椎間板の厚みが減少するに至った。右脚のしびれも出ていたが、仙骨後方軸転変位によって臀部の筋肉である梨状筋が引っ張られ、その下を走行する親指ほどの太さがある坐骨神経を圧迫していたと考えられる。いわゆる坐骨神経痛のような症状としての右脚のしびれとも解釈できる。

仙腸関節に機能的な左右差が生じると、体幹のバランスが崩れ、腰椎や股関節にまで不均等な負荷がかかる。その結果、腰部の筋緊張が慢性的に高まり、神経や血管の循環が阻害される。これが腰痛の慢性化を助長していたと考えられる。

本症例では、右仙腸関節の可動域制限が顕著であり、同側の腰椎神経根にまで影響が及んでいた可能性が高い。仙骨部は副交感神経の支配領域に属し、この領域の機能が低下すると、筋緊張の調整や血流の回復がうまく働かなくなる。さらに、腰椎部の交感神経支配とのバランスが崩れることで、局所的な炎症反応が持続し、末梢神経の過敏化を助長していたと推察される。

慢性腰痛が20年にも及んでいた背景には、単に構造的な問題だけでなく、神経生理学的な回復力の低下があったと考えられる。神経の流れが滞ると、筋・関節・靭帯といった組織が十分に修復されず、わずかな負荷でも炎症や疼痛反応が再燃しやすくなる。

右仙腸関節に存在していたサブラクセーション(根本原因)がアジャストメントによって取り除かれることで、副交感神経の働きが回復し、筋緊張の抑制と血流改善が促された。その結果、長年続いた腰痛が鎮静化し、神経圧迫によって生じていた右脚のしびれも自然に消失していったと考えられる。

一言に腰痛といっても、その背後には多層的な要因が存在する。痛みの強さだけでなく、発症の時間帯や動作の種類、姿勢変化による反応を細かく観察することによって、どの神経領域に問題があるのかを見極めることができる。

本症例は、腰痛や脚のしびれを単なる筋肉や椎間板の問題として捉えるのではなく、骨盤部の副交感神経機能の低下と、それに伴う修復機構の不全として理解することの重要性を示している。神経系の恒常性が回復すれば、長年続いた腰痛や脚のしびれでさえも、身体が本来持つ自然治癒力によって回復へと導かれることを示す症例であった。
20年間続いた慢性腰痛と右脚のしびれで夜も眠れなくなった
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前田 一真

執筆者前田 一真

神奈川県藤沢市出身。1972年に塩川満章D.C.が開院した銀座の塩川カイロプラクティックに内弟子として入る。塩川満章D.C.と塩川雅士D.C.に師事し、副院長まで務める。また日本で最も歴史あるカイロプラクティック学校シオカワスクールでは現役講師を務めており、後任の育成にも力を入れている。2023年5月に地元である藤沢の地で、カイロプラクティックの最前線である塩川カイロプラクティックで学んだ本物のカイロプラクティックを提供する院を実現するため、【前田カイロプラクティック藤沢院】を開院。

笑顔溢れ、心豊かに、幸せな毎日をサポートできるようにカイロプラクターとして尽力している。またシオカワグループの一員として、感謝・感動・希望に溢れる社会を目指している。

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