薬や点滴でも改善しなかった突発性難聴と耳鳴り

薬や点滴でも改善しなかった突発性難聴と耳鳴り

会話が聞き取れるようになり、不安から解放されました!

30代男性
来院に至った経緯
大学卒業後から保険会社で営業職として働き始め、毎日外回りや電話対応に追われる生活を送っていた。周囲からは「タフだね」と言われることが多かったが、実際は長時間労働やストレス、睡眠不足を抱え込みながらなんとか踏ん張っていた。

そんな生活の中で、ある朝突然右耳が詰まったように聞こえなくなり、同時に「キーン」という高い耳鳴りが鳴り止まなくなった。

最初は一時的な不調だろうと考えたが、昼になっても改善せず、商談中に相手の声が聞き取りにくく、会話に支障をきたすようになった。さらにめまいまで伴うようになり、さすがに異常を感じて耳鼻科を受診した。

診断は「突発性難聴」。医師から「発症から時間が経つと治りにくくなる」と強調され、すぐにステロイド薬を処方され、点滴治療も受けた。しかし症状はほとんど改善せず、耳鳴りは続き、聞こえの悪さも変わらなかった。

保険会社の営業職として人と会話することが仕事の中心であったため、「このまま聞こえが戻らなければ、営業としてやっていけなくなるのではないか」という不安が強くのしかかってきた。

焦る気持ちから鍼灸や漢方も試したが、効果を実感できないまま耳の違和感と耳鳴りに悩まされ続けた。テレビの音や家族との会話も聞き取りにくくなり、日常生活でも「え?」と聞き返す場面が増えた。仕事でも自信を失い、精神的に追い込まれる一方であった。

突発性難聴は「時間との戦い」であることを耳鼻科医からも繰り返し伝えられていたため、残された選択肢を探す必死の思いでインターネットを調べた。

その中で当院のホームページを見つけ、耳の不調や自律神経の乱れが改善した症例を読み進めるうちに、「ここなら助けてもらえるかもしれない」と希望が芽生えた。発症から2週間以内という早期の段階で、藁にもすがる思いで当院に来院された。


【神奈川県横浜市戸塚区から来院】
初診の状態
  • 01

    右仙腸関節の明らかな可動域制限

  • 02

    左後頭部の強い浮腫感

  • 03

    頸部全体の過緊張

経過と内容
初診時の状態では、第一頸椎と右の仙腸関節には明らかな可動域制限があった。体表温度検査では、上部頸椎と骨盤部に明らかに左右の温度の誤差が確認された。また第一頸椎右横突起と右仙骨翼に強い浮腫が確認され、頸部胸鎖乳突筋(特に右側)と腰部起立筋は過緊張の状態であった。

レントゲン評価では、椎間板をD1~D6という6段階で評価していく。腰の椎間板の段階は6段階中3段階の慢性的なD3レベルで重度の骨盤の傾きや過前弯で反り腰が確認された。首の椎間板の段階は6段階中4段階の慢性的なD4レベルが確認され、首の前弯カーブ(前カーブ)は消失してストレートネックとなっていた。

突発性難聴は時間との戦いでもあるため、椎間板の段階も考慮して初期集中期の段階では週2回のケアから開始した。

1週目(2回目のアジャストメント)には、依然として耳の詰まり感や耳鳴りは残っていたが、夜間の耳鳴りの強さが少し和らぎ、眠れる時間が増えた。患者本人も「昨日は久しぶりに熟睡できた」と話し、わずかな変化を実感していた。

2週目(3回目のアジャストメント)には、耳の詰まり感が軽減し、会話の中で相手の声が聞き取りやすくなった。耳鳴りも日中は気にならない時間が増え、営業先でのやりとりに自信を取り戻しつつあった。

3週目(5回目のアジャストメント)には、耳鳴りはかなり弱まり、右耳の聴力も以前より改善してきた。電話対応の際に声が聞き取りやすくなり、「仕事が普通にできるようになってきた」と本人も安心した表情を見せるようになった。

5週目(9回目のアジャストメント)には、耳鳴りはほとんど気にならなくなり、聞こえも日常生活に支障がないレベルまで回復した。長期間続いていた不安や緊張感も和らぎ、精神的にも余裕が戻ってきた。

現在は、突発性難聴による症状はほとんど落ち着いたが、再発防止と全身の安定を目的に、身体のメンテナンスとして定期的なカイロプラクティックケアを続けている。

考察
今回の突発性難聴は、上部頸椎および骨盤部における神経への負荷が背景にあり、その結果として自律神経のバランスが大きく乱れていたことが原因であったと考えられる。

突発性難聴は、内耳の血流障害や聴覚神経の伝達異常によって生じるとされる。特に上部頸椎は椎骨動脈を介して内耳や脳幹への血流を調整する要所であり、ここに変位や可動制限が生じると循環障害や神経活動の乱れが直結する。

耳鳴りについても注目すべき点である。本来であれば静かな環境では余計な音は抑制されるが、交感神経が過剰に働くことで脳は「聞こえない音を拾おう」と過敏な状態に陥り、不要な音域まで拾ってしまった可能性が高い。これが耳鳴りという形で自覚され、聴覚情報のノイズとして症状を悪化させていたと考えられる。

検査では、骨盤部と上部頸椎に明らかな神経的な異常が確認されており、ここは副交感神経の働きと密接に関わる領域である。一方で副交感神経の働きが低下していたため、内耳周囲の血流や代謝が十分に保たれず、蝸牛や前庭神経の機能回復が遅れていたことも推測される。交感神経と副交感神経のアンバランスが同時に存在することで、耳の閉塞感、耳鳴り、難聴といった症状が複雑に絡み合っていたといえる。

今回、発症から2週間以内という早期にカイロプラクティックケアを開始できたことが大きな意味を持った。上部頸椎と骨盤部へのアジャストメントによって自律神経のバランスが整えられ、副交感神経の働きが回復することで血流と代謝が改善され、突発性難聴による耳の閉塞感や耳鳴りが速やかに軽減し、聴力の回復につながったと考えられる。

突発性難聴は時間との戦いであり、発症からいかに早く神経系を整えられるかが予後を左右する。耳に現れた症状であっても、その根本にはサブラクセーション(根本原因)が存在しており、体全体を診て調整するカイロプラクティックの重要性を再確認できる症例であった。
薬や点滴でも改善しなかった突発性難聴と耳鳴り
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前田 一真

執筆者前田 一真

神奈川県藤沢市出身。1972年に塩川満章D.C.が開院した銀座の塩川カイロプラクティックに内弟子として入る。塩川満章D.C.と塩川雅士D.C.に師事し、副院長まで務める。また日本で最も歴史あるカイロプラクティック学校シオカワスクールでは現役講師を務めており、後任の育成にも力を入れている。2023年5月に地元である藤沢の地で、カイロプラクティックの最前線である塩川カイロプラクティックで学んだ本物のカイロプラクティックを提供する院を実現するため、【前田カイロプラクティック藤沢院】を開院。

笑顔溢れ、心豊かに、幸せな毎日をサポートできるようにカイロプラクターとして尽力している。またシオカワグループの一員として、感謝・感動・希望に溢れる社会を目指している。

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