腰椎椎間板変性症で歩くのもつらかった腰の痛みと足のしびれ

腰椎椎間板変性症で歩くのもつらかった腰の痛みと足のしびれ

「このまま歩けなくなるのでは」という不安から解放され、日常生活が取り戻せました!

70代女性
来院に至った経緯
70代に入り、それまでも腰の重さは感じていたが、ここ1年ほどで日常生活に支障が出るほど悪化してきた。朝起きる時に腰が固まっているように感じ、立ち上がるまでにしばらく時間がかかるようになった。少し前かがみになるだけで深いところがギューっと痛み、買い物の途中でも腰が抜けるような心もとない感覚が出て、何度も立ち止まって休むことが増えていた。

最初は「年齢のせいだから仕方ない」と自分に言い聞かせ、姿勢を気にしてみたり湿布を貼ったりしてごまかしていたが、痛みは徐々に強くなっていった。ある日、洗濯物を干そうとして体を軽くひねった瞬間、腰に鋭い痛みが走り、その場で動けなくなった。家族に支えてもらい整形外科を受診したところ、「腰椎椎間板変性症」と伝えられた。

診断された時点では腰の痛みだけで済んでいたが、そのうち、お尻の奥に重だるいようなしびれが出始めた。数日後には太ももの裏まで広がり、歩き始めると足が思うように動かないような重さを感じるようになった。特に朝は足に力が入りにくく感じ、階段を降りるのも不安になっていった。

買い物へ行く距離も短くなり、近所のスーパーへ向かうだけで腰が張り、足がビリビリとしびれてくることが増えた。長く立っていると足の奥がじんじんしてきて、途中で座り込まないとつらい日もあった。以前は普通にできていた家事、布団を持ち上げる動作や長く台所に立つことが難しくなり、できないことが少しずつ増えていった。

整形外科では湿布と痛み止めが中心で、「年齢とともに変化するものだからうまく付き合っていくしかない」と言われた。薬を飲んでいる時だけは少し楽になるが、切れれば元通りの痛みとしびれが戻ってくる。先が見えない不安が大きくなり、「このまま歩けなくなったらどうしよう」という思いが頭を離れず、夜もゆっくり眠れなくなっていた。

そんな時、近所の知人から「私も歩けないほど痛かったけれど、前田カイロに行って動けるようになったよ」と勧められた。同年代の人が良くなったという話は信頼でき、まだ自分の足で生活したいという気持ちも強くあったため、「少しでも良くなるなら」と思い当院に来院された。


【神奈川県藤沢市から来院】
初診の状態
  • 01

    右仙腸関節の明らかな可動域制限

  • 02

    右仙骨翼にスポンジ状の浮腫

  • 03

    腰部起立筋の過緊張

経過と内容
初診時の状態では、右の仙腸関節には明らかな可動域制限があった。体表温度検査では、骨盤部と下部腰椎に明らかに左右の温度の誤差が確認された。また右仙骨翼と下部腰椎に強い浮腫が確認され、腰部起立筋は過緊張の状態であった。

レントゲン評価では、椎間板をD1~D6という6段階で評価していく。腰の椎間板の段階は6段階中6段階の最も慢性的なD6レベルで重度の骨盤の傾きが確認された。首の椎間板の段階は6段階中4段階の慢性的なD4レベルが確認され、首の前弯カーブ(前カーブ)は消失してストレートネックとなっていた。

初期集中期の段階では週3回のケアが必要な状態であったため、集中したケアから開始した。

3週目(7回目のアジャストメント)には、朝起き上がる時の強いこわばりが少し和らぎ、立ち上がる動作が以前よりスムーズになっていた。お尻から太ももにかけて広がっていたしびれも、ピーク時ほど強く出ることが少なくなり、歩いている最中に立ち止まる回数が減っていた。

6週目(12回目のアジャストメント)には、買い物中に腰が抜けそうになる感覚がほとんどなくなった。歩き始めに足に力が入りにくかった状態も改善され、ゆっくりではあるが休まずに店内を歩ける時間が増えていた。以前は数分立っているだけでお尻の奥がビリビリとしびれていたが、その症状も軽くなってきた。

12週目(18回目のアジャストメント)には、日常生活での痛みが大きく減少し、布団を持ち上げる動作や台所仕事など、これまでつらかった動作が徐々にこなせるようになっていた。特に、洗濯物を干すために軽く体をひねる動作で感じていた鋭い痛みはほとんど消失していた。しびれも太ももの裏にわずかに残る程度となり、歩行の安定感が出てきていた。

20週目(25回目のアジャストメント)には、症状の再発がほとんどみられず、外出先でも腰の不安が大きく減っていた。以前は毎日のように感じていた腰の深いところの痛みも軽度となり、朝の動き出しもスムーズになっていた。「痛みが怖くて動けない」という不安が消え、できる家事も明らかに増えていた。

現在は、腰の痛みやしびれは大幅に軽減し、日常生活の動作が支障なく行えるようになっている。再発防止とこれからの生活の質を守るために、身体のメンテナンスとして定期的なカイロプラクティックケアを継続している。

考察
本症例でみられた腰椎椎間板変性症と腰痛、さらに脚に広がっていたしびれは、単なる加齢や構造的変化では説明できず、長期にわたる神経への負担が背景にあったと考えられる。

一般的には椎間板は加齢とともに水分が減り薄くなるとされている。しかし、もし加齢だけが原因ならば、同年代の人は全員が同じように椎間板が薄くなり腰痛を抱えているはずである。

カイロプラクティックの観点では、椎間板が薄くなることは脳が神経を守るために選択した防御反応と捉える。24個の背骨を24階建てのビルに例えると、高い建物より低い建物の方が安定しやすい。脳は神経に負担が掛かり続ける状況を危険と判断すると、構造が不利になっても神経を守ることを最優先し、椎間板を薄くして骨同士を近づけ、動きを制限することで安定を確保しようとする。

この反応が長期に及んだ結果、椎間板の厚みが消失し、今回の患者では最も慢性的なD6レベルに達していた。椎間板や骨など構造的に変化してしまったものは、大人の場合は二度と元には戻らない。特に椎間板の変性がD4以降に進行した場合、現在の厚みを維持することはできても、元の厚みが再生されることはない。この点は非常に重要である。

では、なぜ椎間板にこれほど強い負担が加わったのかといえば、その根本には仙腸関節の機能低下が関与していた。人間の身体には補正作用があり、一方の仙腸関節の動きが低下すると反対側が過剰に動く。すると歩くたびに生じる左右差は腰部にねじれストレスを生み、構造上ねじれに弱い椎間板を摩耗させやすい。つまり椎間板変性は「原因」ではなく「結果」であり、その起点は骨盤部のサブラクセーション(根本原因)による神経病理であったと考えられる。

神経への負担が生じると、身体はこれ以上損傷しないように関節の可動域を低下させる運動病理を発生させる。さらに不安定さを補うために筋肉病理が起こり、腰部の筋肉は強い緊張状態となる。初診時にみられた仙腸関節の可動域制限、浮腫、腰部起立筋の強い緊張は、この一連の反応を反映していた。

アジャストメントによって骨盤部と腰椎のサブラクセーションが取り除かれていくと、神経への負担が段階的に減少し、副交感神経が働きやすい状態が回復していく。すると筋緊張は緩み、血流が改善し、神経が本来の働きを発揮できるようになる。

椎間板そのものの形は決して変わらないが、神経機能が正常化することで痛みやしびれは改善していく。これは神経の回復速度を示しており、症状の変化が段階的に現れたのは神経回復の順序を反映したものである。

本症例は、椎間板の構造変性が重度であっても、神経へのアプローチを中心に据えたカイロプラクティックケアによって機能面が改善し、痛みやしびれといった訴えが解消されていくことを示した臨床例であった。
腰椎椎間板変性症で歩くのもつらかった腰の痛みと足のしびれ
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前田 一真

執筆者前田 一真

神奈川県藤沢市出身。1972年に塩川満章D.C.が開院した銀座の塩川カイロプラクティックに内弟子として入る。塩川満章D.C.と塩川雅士D.C.に師事し、副院長まで務める。また日本で最も歴史あるカイロプラクティック学校シオカワスクールでは現役講師を務めており、後任の育成にも力を入れている。2023年5月に地元である藤沢の地で、カイロプラクティックの最前線である塩川カイロプラクティックで学んだ本物のカイロプラクティックを提供する院を実現するため、【前田カイロプラクティック藤沢院】を開院。

笑顔溢れ、心豊かに、幸せな毎日をサポートできるようにカイロプラクターとして尽力している。またシオカワグループの一員として、感謝・感動・希望に溢れる社会を目指している。

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