気力もなくなるほどの反り腰による慢性的な腰痛

気力もなくなるほどの反り腰による慢性的な腰痛

反り腰による腰痛が気にならなくなり、仕事も趣味も前向きに楽しめるようになりました!

20代女性
来院に至った経緯
学生時代から体型や姿勢に強い関心があり、常に背筋を伸ばして歩くことを意識していた。高校時代にはダンス部に所属し、ステージ上で美しく見えるように腰を反らせて胸を張る姿勢を日常的に繰り返していた。その姿勢は本人にとって「自分らしさ」の一部でもあり、周囲から「姿勢がきれい」「スタイルがいい」と褒められることが自信につながっていた。

大学卒業後は広告関係の仕事に就き、デスクワークと外回りの両方をこなす生活が始まった。仕事柄、長時間パソコンに向かい資料を作ることもあれば、外回りで立ち続けることも多く、学生時代から身についた反り腰の癖がさらに強まっていった。

最初のうちは腰に軽い張りや違和感程度であったが、20代半ばになると明らかな痛みに変わり、仕事終わりに電車に座ると立ち上がるのが辛いほどになっていた。

痛みが強まると友人との外出を控えるようになり、休日も自宅で横になって過ごす時間が増えていった。旅行やショッピングが好きだったはずなのに、腰痛を理由に断ることが増え、「まだ若いのに年寄りのようだ」と自己嫌悪に陥ることもあった。

夜はベッドに横になっても腰が反ってしまう気がして痛み、眠りが浅くなることが続いた。特に仰向けで寝ていると、腰がベッドに密着せずに浮いているような感覚さえあった。心身の疲れが取れないまま朝を迎え、仕事に出かけることが苦痛に感じられるようになった。

整形外科を受診した際にはレントゲンで「骨に異常はない」と告げられ、湿布と痛み止めが処方された。医師に「私は反り腰ではないですか?」と尋ねたが、「別に普通ですよ。」とそっけない返事しかもらうことができなかった。

痛み止めや湿布で症状は一時的に和らぐが、根本的な改善には至らなかった。その後、「反り腰 腰痛」などでインターネット検索で出てきた整体やヨガ、ストレッチ教室にも通ったが、どれも「やっている間は楽」という程度であり、翌日にはまた腰が反ってくるような感覚で同じ痛みに悩まされる日々が続いた。

「まだ20代なのに、このまま慢性腰痛を抱えたまま一生を過ごすのか」という不安が日に日に強くなり、気持ちも落ち込んでいった。仕事では集中力を欠き、趣味だった読書や映画鑑賞さえ楽しめなくなっていた。

そんなとき、職場の上司が「私も腰痛で悩んでいたけど、ここに通って良くなったから行ってみなさい。」と当院を紹介された。半信半疑で調べてみると、同じように若い世代で反り腰による腰痛に苦しんでいた人が改善している記事を目にした。

「ここなら長年の反り腰も変わることができるかもしれない」という希望が湧き、思い切って当院に来院する決断をされた。


【神奈川県藤沢市から来院】
初診の状態
  • 01

    右仙腸関節の明らかな可動域制限

  • 02

    右上後腸骨棘上端内縁にくぼんだ浮腫

  • 03

    腰部起立筋の過緊張

経過と内容
初診時の状態では、右の仙腸関節には明らかな可動域制限があった。体表温度検査では、骨盤部に明らかに左右の温度の誤差が確認された。また右上後腸骨棘上端内縁に強い浮腫が確認され、腰部起立筋は過緊張の状態で姿勢評価でも明らかに反り腰の状態であった。

レントゲン評価では、椎間板をD1~D6という6段階で評価していく。腰の椎間板の段階は6段階中4段階の慢性的なD4レベルで重度の骨盤の傾きや過前弯で反り腰が確認された。首の椎間板の段階はそれほど慢性的なところは確認されなかったが、首の前弯カーブ(前カーブ)は消失してストレートネックを通り越してスワンネック(逆カーブ)となっていた。

初期集中期の段階では週2回のケアを提示したが、平日は終電近くまで残御することも多かったため、週末の週1回のケアから開始した。

3週目(3回目のアジャストメント)には、依然として長時間のデスクワークの後に腰の張り感は残っていたが、初診時に比べて痛みの強さは軽減し、帰宅後に横にならなくても過ごせる日が出てきた。本人も「夜に眠りが深くなった」と口にし、小さな変化ながら改善の兆しが見え始めた。

7週目(6回目のアジャストメント)には、腰の反りが強調されるような立位姿勢を取った際の鋭い痛みが和らぎ、日常生活での制限が少しずつ減ってきた。以前は電車で立っているだけでも腰に負担を感じていたが、週末に友人と出かけても症状が悪化しにくくなり、気持ちに余裕が生まれた。この段階でケアのペースを2週間に一度に広げることができた。

13週目(9回目のアジャストメント)には、長時間のデスクワーク中も腰痛の出現頻度が大幅に減少した。椅子から立ち上がる際の違和感も軽くなり、「以前のように仕事終わりにぐったりしてしまうことが少なくなった」と本人は実感を語った。姿勢への意識が自然に変わり、無理に胸を張らなくても楽に座れるようになってきた。

15週目(11回目のアジャストメント)には、腰痛はほとんど気にならなくなり、趣味の買い物や旅行を安心して楽しめるようになった。姿勢の変化に伴って呼吸も深くなり、全身の疲労感が軽減したことで日常生活全体の質が向上していた。

現在は、反り腰による腰痛の症状はほとんど落ち着いているが、再発防止と身体のメンテナンスとして定期的なカイロプラクティックケアを続けている。

考察
今回の反り腰による腰痛は、右の仙腸関節に生じた可動域制限が大きな要因であったと考えられる。本症例では右の腸骨が後方外方へ変位しており、その補正作用として腰椎の前弯カーブが増大し、いわゆる反り腰の状態を形成していた。

骨盤は脊柱の土台であり、その傾きが変化すれば、仙骨の角度は前傾方向へ導かれ、腰椎全体に常時過剰な伸展ストレスを与えることになる。

レントゲン評価では腰部の椎間板が6段階中4段階に相当する慢性的な変性を示していた。椎間板は圧縮には比較的強いが、捻じり動作には弱いという特徴を持つ。右の仙腸関節に可動域制限が存在したことで、反対側の仙腸関節には過剰な可動性が強いられ、日常生活の歩行や動作のたびに腰椎には持続的な捻じりストレスが加わっていた。その結果、20代という若い年齢でありながら椎間板の厚みが失われ、慢性腰痛の基盤が形成されていたと解釈できる。

では、なぜ右仙腸関節の可動域が制限されたのか。その背景には神経学的要因が存在する。神経に病理的負荷が加わると、身体は防御反応としてその神経を保護しようとする。これを「運動病理」と呼び、関節の可動域を制限することで過剰な刺激から神経を守ろうとするのである。本症例ではこの防御機構が働いた結果、右仙腸関節の可動域が制限され、全身のバランスを崩す起点となっていたと考えられる。

骨盤といっても一枚岩ではなく、左右の仙腸関節、腰仙関節、さらには仙骨自体の分節ごとに細かく評価する必要がある。どの関節にサブラクセーション(根本原因)が存在し、どの方向へ病理的変位を起こしているのかを見極めなければ、根本的な改善は得られない。単に音を鳴らすことを目的とした矯正は一時的な解放感を与えるに過ぎず、かえって関節や靭帯を不安定にするリスクすら伴う。

本症例においては、問題となっていた右仙腸関節に正確なアジャストメントを行うことでサブラクセーションが解消され、神経伝達が回復した。その結果、過剰な補正作用が取り除かれ、腰椎前弯の異常な増大が抑制され、腰痛は改善に向かった。神経の流れが適切に保たれることは、筋骨格系の安定性のみならず、自律神経や循環系の調和をもたらし、身体全体の恒常性を回復させる。

今回の症例は、反り腰による腰痛が単なる姿勢の癖ではなく、骨盤におけるサブラクセーションと神経機能の破綻によって生じることを示すものであった。根本的な改善には、正確な検査に基づいた部位特定と、神経機能を正常化するアジャストメントが不可欠であることをあらためて確認できた症例であった。
気力もなくなるほどの反り腰による慢性的な腰痛
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前田 一真

執筆者前田 一真

神奈川県藤沢市出身。1972年に塩川満章D.C.が開院した銀座の塩川カイロプラクティックに内弟子として入る。塩川満章D.C.と塩川雅士D.C.に師事し、副院長まで務める。また日本で最も歴史あるカイロプラクティック学校シオカワスクールでは現役講師を務めており、後任の育成にも力を入れている。2023年5月に地元である藤沢の地で、カイロプラクティックの最前線である塩川カイロプラクティックで学んだ本物のカイロプラクティックを提供する院を実現するため、【前田カイロプラクティック藤沢院】を開院。

笑顔溢れ、心豊かに、幸せな毎日をサポートできるようにカイロプラクターとして尽力している。またシオカワグループの一員として、感謝・感動・希望に溢れる社会を目指している。

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