大好きな仕事を諦めかけた手首の痛み(腱鞘炎)

大好きな仕事を諦めかけた手首の痛み(腱鞘炎)

また厨房で思いきりお菓子作りができるようになりました!

30代女性
来院に至った経緯
子供の頃からケーキ作りに夢中になり、高校卒業と同時にフランスに渡って修業を積んだ。朝から晩まで厨房に立ち続ける厳しい日々も、「いつか自分のお菓子で人を笑顔にしたい」という一心で耐え抜いた。

現在は日本のフレンチレストランでパティシエとして活躍している。甘い香りに包まれながら美しいスイーツを生み出す仕事は、本人にとって人生そのものの誇りであった。

その代償に手首は長年酷使され続けてきた。重いボウルを持ち上げるとき、ナイフで硬い素材を切るとき、繊細な絞り作業を繰り返すとき。そのたびに手首には負担が積み重なり、数年前からは時折左手首に痛みが出るようになっていた。それでも「休む暇なんてない」と気力で乗り切り、週に一度の休みの日に手首を休めることで、なんとか1週間をやり過ごしていた。

ところが3週間前から休んでも痛みは引かず、調理器具を持つだけで鋭い痛みが走るようになった。病院では「腱鞘炎」と診断され、「仕事を休むかサポーターを着けて働くしかない」と告げられた。しかし渡されたサポーターは薄手で頼りなく、実際の厨房作業にはほとんど役に立たなかった。

スポーツショップで購入したサポーターはしっかり固定できるものの、ゴツすぎて作業の邪魔になり、結局使えなかった。仕方なく自分でテーピングを巻いて仕事をしてみたが、痛みはどんどん悪化していった。

「このままでは、大切な仕事を続けられなくなるかもしれない。」

頭をよぎったのは、フランスで積み重ねてきた年月と、これまで必死に努力してきた日々だった。せっかくここまで来たのに、思うように作れない苛立ちと焦りが強くなり、厨房で笑顔を見せる余裕もなくなっていった。

同僚に紹介された整体に通ってみたものの、期待したほどの効果は得られず、痛みは和らがなかった。打つ手がなくなりかけていた矢先、地元の同窓会で久しぶりに再会した友人に何気なく悩みを打ち明けると、「ここの先生すごいから、行ってみて!」と当院を勧められた。。

後日ホームページを見てみると、「背骨の調整?手首に関係ないじゃん」と思い、友人に連絡すると、「いいから行ってみなって!私も救われたんだから」と真剣な声で背中を押された。

職業柄中腰の姿勢が多く腰痛にも悩んでいたこともあり、「そこまで言うなら…」と半信半疑のまま当院に来院された。


【東京都新宿区から来院】
初診の状態
  • 01

    下部頸椎の明らかな可動域制限

  • 02

    隆椎周辺の強い浮腫感

  • 03

    頸部全体の過緊張

経過と内容
初診時の状態では、下部頸椎と左の仙腸関節には明らかな可動域制限があった。体表温度検査では、下部頸椎と骨盤部に明らかに左右の温度の誤差が確認された。また隆椎周辺と左仙骨翼に強い浮腫が確認され、頸部全体と腰部起立筋は過緊張の状態であった。

レントゲン評価では、椎間板をD1~D6という6段階で評価していく。腰の椎間板の段階は6段階中3段階の慢性的なD3レベルで重度の骨盤の傾きや過前弯で反り腰が確認された。首の椎間板の段階も6段階中3段階の慢性的なD3レベルが確認され、首の前弯カーブ(前カーブ)は消失してストレートネックを通り越してスワンネック(逆カーブ)となっていた。

初期集中期の段階では週2回のケアを提示したが、仕事が多忙で週1回しか休みがなかったため、週1回のケアから開始した。

2週目(2回目のアジャストメント)には、左手首の鋭い痛みは依然残っていたが、調理器具を持つときの負担がわずかに軽くなり、作業を止める回数が少なくなった。また、腰の重だるさも以前より和らぎ、長時間の中腰姿勢に耐えやすくなった。

4週目(4回目のアジャストメント)には、朝起きたときの手首のこわばりが軽くなり、重いボウルを持ち上げる作業もこなせるようになった。腰の疲労感も軽減し、仕事終わりの消耗感が減った。この段階でケアのペースを2週間に一度に広げることができた。

10週目(7回目のアジャストメント)には、左手首の痛みはさらに軽減し、鍋を持って動かしたり、大きなボウルを支えるときの負担も少なくなった。以前のように週1回の休みの日に手首を休めれば1週間持つようになり、作業効率も明らかに向上した。この頃には腰痛もほとんど気にならなくなっていた。

14週目(11回目のアジャストメント)には、仕事中の左手首の痛みはほぼ消失し、厨房での動きに不安を感じることがなくなった。長時間の立ち仕事や中腰姿勢を続けても、翌日に強い疲労感が残らない状態へと変化していた。

現在は、左手首と腰の症状はほぼ落ち着き、厨房での作業を安心してこなせる状態になっている。本人は「もう仕事を辞めるしかないかもしれない」と追い詰められていた時期を振り返り、安堵の気持ちを語っている。

今後も再発防止と全身の安定を目的に、身体のメンテナンスとして定期的なカイロプラクティックケアを続けている。

考察
今回の左手首の痛みは、長年の酷使による局所的な腱鞘や靭帯の負担が直接の要因であったが、その背景には下部頸椎から上肢へと伸びる神経への負担が関与していたと考えられる。

下部頸椎のサブラクセーション(根本原因)は手首や指を支配する神経の伝達を阻害し、局所の循環不全や筋緊張を助長する。その結果、通常であれば休養で回復する疲労や炎症が慢性化し、手首に痛みが固定化する傾向が強まったと推測される。

手首には橈骨・尺骨と関節する手根骨7個が存在し、それぞれが微細な関節運動によって全体の柔軟性と安定性を保っている。どこか1つの骨に可動制限が生じると、周囲の骨が過剰に動いて代償し、その不均衡がさらなる負担となって蓄積する。

今回のように繊細な固定動作や繰り返しの荷重を伴う職業では、この小さなアンバランスがやがて大きな痛みとなって現れるのである。ここで重要なのは、局所の手首だけを診るのではなく、全体としての神経系の働きを正しく評価することである。

カイロプラクティックの観点では、サブラクセーションは単なる構造の歪みではなく、神経伝達を妨げる「根本原因」として捉えられる。頸椎のサブラクセーションが手首の機能不全を助長していたことは、まさに神経学的な視点がなければ見落とされるポイントであった。

アジャストメントを通じて神経の流れが回復すると、体は自らの治癒力を最大限に発揮し、局所の炎症や緊張を整えていく。手根骨一つひとつの動きを触知できる検査力と、背骨を中心に全身の神経系を調整するカイロプラクティックのアプローチが合わさることで、単なる対症療法ではなく、根本的な回復へと導けたと考えられる。

今回の症例は、パティシエという職業的に酷使される部位であっても「神経系と構造系の両面」から働きかけることによって、身体は再び本来の機能を取り戻せることを示している。まさにカイロプラクティックの理念である「身体に備わる治るチカラ」を引き出すことができた症例であった。
大好きな仕事を諦めかけた手首の痛み(腱鞘炎)
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前田 一真

執筆者前田 一真

神奈川県藤沢市出身。1972年に塩川満章D.C.が開院した銀座の塩川カイロプラクティックに内弟子として入る。塩川満章D.C.と塩川雅士D.C.に師事し、副院長まで務める。また日本で最も歴史あるカイロプラクティック学校シオカワスクールでは現役講師を務めており、後任の育成にも力を入れている。2023年5月に地元である藤沢の地で、カイロプラクティックの最前線である塩川カイロプラクティックで学んだ本物のカイロプラクティックを提供する院を実現するため、【前田カイロプラクティック藤沢院】を開院。

笑顔溢れ、心豊かに、幸せな毎日をサポートできるようにカイロプラクターとして尽力している。またシオカワグループの一員として、感謝・感動・希望に溢れる社会を目指している。

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