リュックを背負うこともできなくなった側弯症による背中の痛み

リュックを背負うこともできなくなった側弯症による背中の痛み

サッカーを続けながら痛みが改善し、手術を回避できる希望を持てました!

10代男性
来院に至った経緯
小学3年生の健康診断で「側弯症の疑いがある」と指摘されたが、特に痛みや不調はなく、医師からも「しばらく様子を見ましょう」と言われただけであった。その後も小学校生活を普通に送り、本人も運動が好きで小学3年からサッカーを続けていた。

小学6年生のとき、病院で再び検査を受け「側弯症」と診断された。しかし「まだ手術の必要はないので経過観察」と説明を受け、本人も痛みを訴えていなかったため、家族は大きく心配せずに過ごしていた。

ところが中学1年生になりサッカー部に入部すると、練習の質も量も増えたこともあり、息子が「背中が痛い」と訴えるようになった。初めのうちは「中学の部活は小学校より厳しいから、そのせいだろう」と軽く考えていたが、次第に痛みが頻繁に起きるようになり、再び病院を受診した。」

診察の結果「側弯症が少し進行している」と言われ、コルセットを常時着けるように指導された。しかし実際に装着すると走ることすら難しく、サッカーどころではなくなってしまい、息子は強い拒否感を示した。

「コルセット以外に何か方法はないか」と模索する中で、横浜市内で評判のスポーツ整体を見つけ、中学生でも施術してもらえるということで連れて行った。そこで行われたのは、背中に膝を当てて強く押し込み、ボキボキと音を鳴らす矯正だった。

母親はその場で不安になり「中学生の子供にあんなに強い矯正をして大丈夫ですか?」と尋ねたが、整体の先生からは「問題ありません」と返された。

しかし、悪い予感は的中した。翌朝、息子は登校時にリュックを背負うことすらできないほどの激しい背中の痛みに襲われ、学校を休むことになった。慌てて病院に連れて行き事情を説明すると、医師から「成長期の側弯症の子にそんな強い矯正をすれば痛みが出るのは当然だ」と強く叱責を受けた。さらに「コルセットをちゃんと装着しなければ、いずれ手術になる」と厳しく指導された。

それでも息子は「コルセットを着けると走れない」と強く訴え続け、親としてもどうすればよいか迷う日々が続いた。そんな折、幼稚園の頃からの幼馴染の女の子のお母さんと久しぶりに会い、近況を話す機会があった。

小学校高学年以降は男女で交流が減っていたため、ほとんど接点がなかったが、そのときに息子の症状を相談すると「側弯症なら絶対にこの先生に診てもらった方がいいよ」と当院を紹介された。

直前に整体で痛みが悪化したばかりで不安もあったが、「整体とカイロプラクティックはまったく別ものだよ。私は上手く説明できないけど、ここの先生は丁寧に説明してくれるから大丈夫」と強く勧められた。

半信半疑で当院のホームページを確認すると、側弯症で背中の痛みに悩んでいた子どもが改善していく症例が掲載されていた。それを読んだ母親は「ここなら息子を任せられるかもしれない」と希望を抱き、来院を決意した。


【神奈川県横浜市栄区から来院】
初診の状態
  • 01

    左仙腸関節の明らかな可動域制限

  • 02

    左仙骨翼にスポンジ状の浮腫

  • 03

    背部全体の過緊張

経過と内容
初診時の状態では、左の仙腸関節と下部胸椎には明らかな可動域制限があった。体表温度検査でも、骨盤部と下部胸椎に明らかに左右の温度の誤差が確認された。また左仙骨翼と下部胸椎に強い浮腫が確認され、腰部から背部にかけて脊柱起立筋とは過緊張の状態であった。

レントゲン評価では、椎間板をD1~D6という6段階で評価していく。腰の椎間板の段階は6段階中〇段階の慢性的なD3レベルで重度の骨盤の傾きや過前弯で反り腰が確認された。首の椎間板の段階はそれほど慢性的なところは確認されなかったが、首の前弯カーブ(前カーブ)は消失してストレートネックを通り越してスワンネック(逆カーブ)となっていた。

患者は中学1年生だったが、腰部の椎間板評価やその他の検査所見、そして側弯症は成長期が終わるまでの間の時間との戦いでもあることを考慮して、初期集中期の段階では週2回のケアから開始した。

1週目(2回目のアジャストメント)には、登校時にリュックを背負うと強く出ていた背中の痛みが大幅に和らぎ、以前のように途中で立ち止まることなく通学できるようになった。サッカー部の練習後にも「背中の痛みが強くて眠れない」という訴えが減少し、本人と家族に安心感が生まれた。

2週目(4回目のアジャストメント)には、部活動後の疲労感は残るものの、背中の痛みは短時間で回復するようになった。母親からは「表情が明るくなり、以前のように部活の話を楽しそうにするようになった」との報告があった。この段階でケアのペースを1週間に一度に広げることができた。

6週目(8回目のアジャストメント)には、日常生活の中で痛みを訴えることはほとんどなくなった。サッカーの練習も休憩なしにできるようになり、走るフォームが安定したことでパフォーマンスが向上した。

9週目(11回目のアジャストメント)には、日常生活でも部活動でも痛みを感じることはほとんどなく、夜間の安眠も確保できていた。この段階でケアのペースを2週間に一度に広げることができた。

カイロプラクティックケアを始めてからこの間、一度もコルセットは巻いていなかったが、背中の痛みは完全に落ち着き日常生活でもサッカーでも背中の痛みが出ることはなくなった。

病院での検診でも「側弯症は進行していないので、このままなら手術はしなくて大丈夫そうです」と医師から伝えられていた。現在も背中の痛みが出ることはなく安定しているが、再発防止と身体のメンテナンスのため定期的なカイロプラクティックケアを続けている。

考察
今回の側弯症による背中の痛みは、体の土台である骨盤部の不安定さに起因していたと考えられる。初診時の検査では、仙腸関節の可動域制限と仙骨翼の浮腫が確認されており、これが脊柱全体のバランスに影響を及ぼしていた。

骨盤の不均衡は、成長期にある子どもの脊柱に大きな負担を与え、二次的に胸椎や腰椎の弯曲を助長し、結果的に痛みや運動機能の低下を引き起こす要因となる。

特に中学生になると、急激な成長スパートと同時に部活動での運動量が増えるため、側弯症は「時間との戦い」といえる。骨格がまだ完成していない段階で適切なケアを受けるかどうかが、その後の進行や生活の質に大きく影響する。

本症例でも、痛みの訴えが強くなったのは練習量が増えた中学入学以降であり、側弯症が体に与える負担が顕在化したと解釈できる。

カイロプラクティックケアの重要な点は、単純に曲がっている部分を強く矯正するのではなく、レントゲン評価や体表温度検査といった科学的根拠に基づいて問題の椎骨を特定し、そこにのみ正確にアプローチすることである。

成長期の椎骨は小さく繊細であり、誤ったアプローチは関節の不安定性や症状の悪化を招く危険性がある。今回、整体での強い矯正により症状が悪化した経験は、そのリスクを如実に示していた。

カイロプラクティックの目的は「背骨を真っすぐにすること」ではなく、神経機能を回復させることである。脊柱の弯曲や骨盤の傾きは補正作用の一部であり、その背後には神経系の働きの乱れが存在する。サブラクセーション(根本原因)を正確に取り除くことで、神経機能が正常に働き、体は自らバランスを回復しようとする。

本症例においても、的確なアジャストメントによって骨盤部と胸椎の機能が安定し、脊柱起立筋の過緊張が和らいだ。その結果、背中の痛みは短期間で改善し、サッカーを休むことなく続けられるまでに回復した。加えて、病院での定期検診においても側弯の進行が止まっていることが確認され、手術の可能性は回避できる見通しとなった。

成長期における側弯症ケアは、構造を無理に変えるのではなく、神経機能を整えることで自然な成長力と自己回復力を引き出すことが重要である。本症例は、適切なタイミングで正しいケアを受けることの意義を改めて示した症例であった。
リュックを背負うこともできなくなった側弯症による背中の痛み
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前田 一真

執筆者前田 一真

神奈川県藤沢市出身。1972年に塩川満章D.C.が開院した銀座の塩川カイロプラクティックに内弟子として入る。塩川満章D.C.と塩川雅士D.C.に師事し、副院長まで務める。また日本で最も歴史あるカイロプラクティック学校シオカワスクールでは現役講師を務めており、後任の育成にも力を入れている。2023年5月に地元である藤沢の地で、カイロプラクティックの最前線である塩川カイロプラクティックで学んだ本物のカイロプラクティックを提供する院を実現するため、【前田カイロプラクティック藤沢院】を開院。

笑顔溢れ、心豊かに、幸せな毎日をサポートできるようにカイロプラクターとして尽力している。またシオカワグループの一員として、感謝・感動・希望に溢れる社会を目指している。

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