手術を覚悟した頸椎椎間板ヘルニアによる首の激痛と腕のしびれ

手術を覚悟した頸椎椎間板ヘルニアによる首の激痛と腕のしびれ

夜も眠れないほどの首の痛みと右腕のしびれが軽減し、再び仕事に集中できるようになりました!

40代男性
来院に至った経緯
30代後半の頃から、長時間デスクワークをした日の夕方になると、首の後ろに重だるさを感じるようになった。最初のうちは「少し姿勢が悪いだけだろう」「疲れが溜まっているのかもしれない」と軽く考え、ストレッチやマッサージでごまかしていた。

しかし、数か月経つうちに首の痛みは次第に強くなり、右の肩甲骨のあたりまで広がっていった。さらに、腕の方までピリピリと電気が走るような違和感を覚えるようになり、仕事に集中できない日が増えていった。

40歳を過ぎた頃からは、朝起きた時点で首を動かすだけでズキッとした痛みが走るようになり、右腕のしびれも明らかに強くなっていった。書類を持ち上げたり、パソコンのマウスを長時間操作するだけでも腕の力が抜けるような感覚があり、「ペットボトルのキャップが開けづらい」「ボタンがうまく留められない」といった細かい動作にも支障を感じるようになった。

仕事柄、1日中パソコンに向かうことが多く、首や肩への負担を実感しながらも「まだ大丈夫だろう」と我慢していた。しかし、痛みが日に日に強くなり、ついには寝返りを打つたびに首から腕にかけて激しい痛みが走るようになった。朝起きた瞬間から首が動かせず、右腕のしびれと脱力感が一日中続くようになり、不安が募っていった。

整形外科を受診し、MRI検査を受けたところ、「頸椎の5番と6番の間の髄核が飛び出している」と説明され、頸椎椎間板ヘルニア(C5・C6)と診断された。医師からは手術の可能性を示唆されたが、できる限り手術は避けたいという思いから、まずは保存療法を選択した。

鎮痛薬とビタミン剤の処方を受け、首を安静に保つためのカラーの装着を勧められたものの、実際に装着してみると仕事中の視線移動が難しく、運転中も制限がかかるため不便で、長続きしなかった。

痛み止めを飲んでも一時的に和らぐだけで、数時間経つと再び首の奥にズキズキとした痛みが戻ってくる。夜間は寝返りのたびに痛みで目が覚め、慢性的な睡眠不足に陥った。右腕のしびれが強くなるにつれて、「このまま元に戻らなくなるのではないか」「仕事もできなくなるかもしれない」という不安が頭をよぎり、精神的にも追い詰められていった。

「このまま手術しかないのか」と思い悩む日々が続いていたある日、同じ職場の同僚から「ここの先生、本当にすごいから一度行ってみた方がいい」と当院を紹介された。その同僚も以前、頸椎椎間板ヘルニアによる腕のしびれに悩まされていたが、カイロプラクティックのケアを受けてから症状が大きく改善したという話を聞き、半信半疑ながらも心を動かされた。

薬を飲んでも、首の痛みや腕のしびれが改善しない毎日に限界を感じていたこともあり、「自分も手術以外の方法で良くなる可能性があるのなら試してみたい」「もう一度、痛みのない生活を取り戻したい」という思いで、当院に来院された。


【神奈川県藤沢市から来院】
初診の状態
  • 01

    頸椎7番の明らかな可動域制限

  • 02

    隆椎周辺の強い浮腫感

  • 03

    頸部全体の過緊張と熱感(炎症)

経過と内容
初診時の状態では、頸椎7番には明らかな可動域制限があった。体表温度検査でも、下部頸椎に明らかに左右の温度の誤差が確認された。また隆椎周辺に強い浮腫が確認され、頸部胸鎖乳突筋は過緊張の状態であった。

レントゲン評価では、椎間板をD1~D6という6段階で評価していく。腰の椎間板の段階は6段階中3段階の慢性的なD3レベルで重度の骨盤の傾きが確認された。首の椎間板の段階は6段階中4段階の慢性的なD4レベルが確認され、首の前弯カーブ(前カーブ)は消失してストレートネックとなっていた。また、頸椎4番から頸椎6番にかけては激しい椎骨の変性が確認された。

初期集中期の段階では週2回のケアが必要であったが、平日は残業が多く帰りの時間の読めないとのことだったので、無理のない範囲で週末の週1回のケアから開始した。

2週目(2回目のアジャストメント)には、首の熱感が少しずつ引いていき、夜も痛みで目が覚めることが減ってきた。「首が熱を持っている感じが弱まり、眠りやすくなった」と話しており、頸部の炎症反応が落ち着き始めたことがうかがえた。右腕のしびれも、以前のような強いビリビリ感が和らぎ、日中の作業に集中できる時間が増えていた。

4週目(5回目のアジャストメント)には、首の痛みが明らかに軽くなり、頭を左右に向ける動作がスムーズになった。「首を動かしても電気が走るような痛みが出なくなってきた」と話し、マウス操作時の腕のしびれも軽減していた。夜間の痛みで目が覚めることもほとんどなくなり、深く眠れるようになってきた。

7週目(8回目のアジャストメント)には、首から肩にかけての重だるさが大きく減少し、「夕方になると腕がビリビリしていたのがほとんど出なくなった」と話していた。パソコン作業後の疲労感も軽くなり、首を支える負担が減ったことで表情にも明るさが戻っていた。この段階でケアのペースを2週間に一度に広げることができた。

13週目(11回目のアジャストメント)には、右腕のしびれはほとんど感じられなくなり、首の痛みもほぼ消失した。「仕事中に首を気にせず過ごせるようになった」と話し、集中力も戻ってきた。首の動きが滑らかになり、日常生活での不安感が解消されていった。

現在は、頚椎椎間板ヘルニアに伴う首の痛みや腕の痺れは解消されたが、長時間のデスクワークで負担が掛かるため、二度と同じ症状に苦しみたくないという思いから再発防止と身体のメンテナンスとして定期的なカイロプラクティックケアを続けている。

考察
今回の頸椎椎間板ヘルニア(頸椎5番6番間)は、頚椎7番の機能低下が原因であったと考えられる。ヘルニアは単に椎間板が突出しているという構造上の変化ではなく、長期間にわたる神経系の防御反応の結果として生じる現象である。

つまり、身体が「これ以上動かすと危険」と判断した結果、周囲の筋群を過剰に緊張させ、可動域を制限し、結果的に椎間板に物理的負荷が集中してしまう。構造そのものよりも、神経の情報伝達エラーこそが根本的な原因である。

人間の身体には「補正作用」と呼ばれる仕組みがあり、どこかの椎骨で可動域制限が起これば、その分を補うように別の椎骨が過剰に動いてしまう特性がある。

椎間板はその構造上、前側の前縦靭帯よりも後ろ側の後縦靭帯に負担がかかりやすく、繰り返しの微細なストレスによって後方部の線維輪が損傷を受けやすい。

今回のように頸椎5番6番間でヘルニアが生じたのは、後方に過度な負荷が集中した結果であり、患部の椎骨は「動きすぎ(過可動性)」となっていた。

一方で、その直下の頸椎7番では可動域の低下が認められたことからも、身体全体が神経を保護するために生じた代償的なパターンであったと考えられる。

人間の痛みの感覚は「正常 → 痛み → しびれ → 麻痺」という順で進行していく。したがって、右腕にしびれが出ていたということは、それほどまでに頸部の神経が損傷を受けていたことを意味する。

神経系は物理的な圧迫だけでなく、情報伝達の誤作動によっても興奮性が乱れ、電気的活動が抑制される。これがしびれや感覚鈍麻として表れるのである。

特に頚椎7番は、首から肩、上肢へと広がる神経ルートの中継点に位置しており、この領域の固有受容器が誤作動を起こすと、脳は常に危険信号を受け取り続ける。

これにより交感神経が過剰に興奮し、局所の血管収縮や炎症反応を引き起こす。実際、本症例でも初診時には頚部に熱感が強く、神経系が慢性的な防御反応状態にあったことを示していた。

アジャストメントによってサブラクセーション(根本原因)が除去されると、固有受容器の情報が正確に脳幹へ伝わるようになり、過剰な防御信号は解除されていく。

脳が「この関節は安全である」と再認識することで、緊張していた筋群が自然に緩み、局所の血流と酸素供給が改善する。これによって炎症が鎮まり、神経伝達が正常化した結果、痛みやしびれといった症状が消失していったと考えられる。

また、神経機能の回復は単に痛みを取るだけではなく、筋出力の再協調にも影響を及ぼす。防御的に拘縮していた筋肉が本来のリズムを取り戻すことで、姿勢保持が安定し、椎間板への圧力も分散される。これが「炎症の再発を防ぐ身体環境」へとつながる。

本症例において注目すべきは、ヘルニアという構造的診断を受けながらも、神経の働きを回復させることで自然治癒力が再び機能した点である。神経が正しく情報を伝え、身体が「守る」状態から「治す」状態へと切り替わったことで、手術に頼らず回復へ向かったことは、神経系の再統合がどれほど重要であるかを示す象徴的なケースであった。
手術を覚悟した頸椎椎間板ヘルニアによる首の激痛と腕のしびれ
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前田 一真

執筆者前田 一真

神奈川県藤沢市出身。1972年に塩川満章D.C.が開院した銀座の塩川カイロプラクティックに内弟子として入る。塩川満章D.C.と塩川雅士D.C.に師事し、副院長まで務める。また日本で最も歴史あるカイロプラクティック学校シオカワスクールでは現役講師を務めており、後任の育成にも力を入れている。2023年5月に地元である藤沢の地で、カイロプラクティックの最前線である塩川カイロプラクティックで学んだ本物のカイロプラクティックを提供する院を実現するため、【前田カイロプラクティック藤沢院】を開院。

笑顔溢れ、心豊かに、幸せな毎日をサポートできるようにカイロプラクターとして尽力している。またシオカワグループの一員として、感謝・感動・希望に溢れる社会を目指している。

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